厚板加工のパイオニア

有限会社日鉄工業
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メイン画像: 厚板加工のパイオニア

高知市仁井田に厚板の鋼板加工では他の追随を許さない高い技術力で県内外からの引き合いが絶えない企業があります。親子二代にわたる絶え間ない研究と挑戦により唯一無二の技術を築き上げた厚板加工のパイオニア、有限会社日鉄工業岡本淑仁社長にお話をうかがいました。

造船業の下請けからの出発

創業は1968年。造船業の鉄骨組み立てを請け負う溶接業としてスタートしました。しかし、造船業の不況で取引先の造船会社が閉鎖したことにより、80年代の終わりには業種転換を余儀なくされました。先代社長の岡本和男氏が思い悩んでいた時、知り合いの看板製造事業者に、看板の切り文字加工に取り組んでみてはどうかと勧められました。当時県内には看板加工ができる事業者がいなかったためでした。看板の切り文字加工は一品生産のうえ、複雑で、しかも美しい切断面を要求されるため、ハードルが高い分野でした。高知県内でレーザ加工機を持っている企業はほとんどなく、複雑な技術を要求される看板製造加工は主に県外に発注されていました。和男氏は、会社を継続するためには思い切ったかじ取りが必要と判断し、レーザ加工機を導入した鋼板加工場として再出発しました。 和男氏は、手始めに動物園の看板をはじめとした薄板の加工に着手しました。レーザの微調整などの細かな技術が必要とされる薄板加工で技術を磨き、その後、建築資材、機械部品などあらゆる加工をこなすうちに、和男氏の丁寧で精度の高い仕事ぶりが評判になり、次第に仕事が増えていきました。

最新のレーザ加工機の様子

厚板加工への特化

再び大きな転機が訪れたのは1999年のことです。これまで薄板加工によって蓄積された技術力を活かして、今度は誰もやっていない厚板加工で勝負しようと、和男氏はCO2レーザ加工機を導入しました。厚板加工は、4.5㎜~12㎜の中厚板までの加工を手掛けるところが多いなか、日鉄工業はそれ以上の厚板に特化しました。その結果、加工品質の高さが口コミで広がり、県外に発注していた同業者から厚板加工の受注が相次ぐようになりました。現社長の岡本淑仁さんは先代社長とともに、日々、材質に見合った加工の条件設定やきれいな切断面を実現するための加工方法を研究するなかで、独自のノウハウを確立していきました。このころから、「厚板のレーザ加工は日鉄工業」と言われるようになりました。 「厚板の加工は、出力や速度、ガス圧などの条件の調整が複雑です。どれか一つでも違っていればうまく切ることができません。材料の微妙な質の違いによっても、条件が異なり、出来上がりも左右されます。同じ機械で同じ材質を切っても、切る人が違えば仕上がりは全く違います。」と、岡本社長。最後は確かな目と技術をあわせ持った人材が必要となるのです。 現在は、レーザ加工は機械の性能や使い勝手が良くなっていることもあり、以前ほど、薄板の加工技術を身に付けるための時間はかかりませんが、厚板加工となると話は別です。日鉄工業の製品は、製紙機械の土台や、クレーンの部品、特殊車両の部品などに使われるため、極めて精度の高い技術が求められます。厚板で0.1ミリの誤差を出さないような技術を習得するには、少なくとも4~5年は必要だと言われています。岡本社長も培ってきたノウハウを伝えながら、社員の技術力向上に努めています。日鉄工業にはレーザ加工機を扱うオペレーターが4人おり、彼らは、どんな難しい加工の注文が来ても、決してあきらめず、お客様と話し合いながら解決策を探す姿勢でいます。

代表取締役の岡本淑仁氏

さらなる高みを目指して

日鉄工業では4台のレーザ加工機が稼働しています。岡本社長は、レーザによる加工技術に特化したスペシャルショップを目指しています。100%の精度が求められる厳しい世界ですが、それだけにやりがいがあるとのことです。 「機械は日進月歩で新しくなります。これからも、お客様のニーズに応えられるよう、日々技術力を磨き、挑戦し続けていきたいです。」岡本社長の物静かで実直な語り口からは、これまで研究を重ねてきた自負と未来への確固たる決意を感じました。

25mm の厚板からレーザでくりぬいた部品

会社情報

社名 有限会社日鉄工業
住所 高知市仁井田4665 番地

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