よさこい祭りの誕生

1950年3月南国博開催
芸能館においてお座敷踊りから脱皮した「新しいよさこい踊り」を披露
1953年4月入交太兵衛氏 高知商工会議所 常議員会にて「商店街に顧客を呼び込むような人が集まってくる何かをしよう」と発言
1954年4月会議所と高知市の共催で永続性のあるお祭り「よさこい祭り」を8月に開催することを決定。(降水確率の一番低い8月10日、11日に決定)
1954年6月会議所観光部会の濱口八郎氏
作曲家 武政英策氏に歌詞・曲を依頼
1954年7月よさこい祭振興会発足。
「よさこい鳴子踊り」歌と踊りを発表

1950年〜

よさこい祭りの歴史(1950年〜)/記念すべき第一回、踊りは特設の舞台上で

記念すべき第一回、 踊りは特設の舞台上で

高知商工会議所の有志が、経済復興の足掛かりになる祭りを企画し、県や市の賛同によって誕生した、よさこい祭り。8月10日午後1時、打ち上げ花火とサイレンが開幕を告げた。21団体750人の踊り子が、高知公園追手門本部競演場や、帯屋町などで、「よさこい鳴子踊り」を披露、また、「合成酒タダ飲み会」や「ハシケン関所破り」なども催された。ここによさこい史の幕は開かれた。

よさこい祭りの歴史(1950年〜)/よさこい鳴子踊りが映画デビュー

よさこい鳴子踊りが映画デビュー

ペギー葉山の歌う『南国土佐を後にして』が全国的に大ヒット。土佐ブームに沸きあがる。さらに日活による映画化が決定し、鳴子踊りのシーンも収録される。よさこい祭りは、全国に知られるようになる。また県内唯一の民放テレビ「ラジオ高知テレビ」が実況生中継を開始。初めてのテレビ放映で、踊り子も見物人も大騒ぎ。参加者は、47団体、2500人まで増えた。

1960年〜

よさこい祭りの歴史(1960年〜)/高知放送テレビが日本各地に放映

高知放送テレビが 日本各地に放映

高知商工会議所の有志が、経済復興の足掛かりになる祭りを企画し、県や市の賛同によって誕生した、よさこい祭り。8月10日午後1時、打ち上げ花火とサイレンが開幕を告げた。21団体750人の踊り子が、高知公園追手門本部競演場や、帯屋町などで、「よさこい鳴子踊り」を披露、また、「合成酒タダ飲み会」や「ハシケン関所破り」なども催された。ここによさこい史の幕は開かれた。

よさこい祭りの歴史(1960年〜)/花火大会を前夜祭に

花火大会を前夜祭に

これまで、祭り終了後に行われていた花火大会を、前日の9日に移行。県内最大級の花火大会として、よさこい祭りに欠かせないイベントとなる。花火の豪快な始まりの合図に喚起され、本番の鳴子踊りも一層盛り上がりを増した。また個々の踊りの進歩が、目覚ましいため、個人賞のワクを700人に増やす。メダルが競演場にて、その場で本人の首にかけられる方式に変わる。

1970年〜

よさこい祭りの歴史(1970年〜)/日本の祭り10選に選ばれる

日本の祭り10選に選ばれる

大阪で行われたアジア初の万博「日本万国博」に参加。「日本の祭り10選」のーつに選ばれての披露となる。「高知の城下へきてみいや」というメッセージを世界に向けてアピールする。

よさこい祭りの歴史(1970年〜)/初の海外遠征、フランスでよさこい鳴子踊りを披露

初の海外遠征、フランスで よさこい鳴子踊りを披露

フランスのニースで行われたカーニバルに招待を受ける。よさこいチームは新しく、サンバ調にアレンジされた踊りを披露。このリズム感に共鳴し、参加者数が、飛躍的に伸びていく時代を迎える。しかし7月、土佐山田町繁藤で、山崩れによる大災害が発生。よさこい祭りは、8月29日からの3日間に延期された。

1980年〜

よさこい祭りの歴史(1980年〜)/よさこい祭り30年、参加者ついに1万人

よさこい祭り30年、 参加者ついに1万人

30年を迎え、各チームは、それぞれのコンセプトをもち、個性を競い始める。踊り子の衣装や、地方車が豪華さを増していく中で、帯屋町チームとグッドライフカンパニーの大型トレーラーの地方車が注目の的となる。

よさこい祭りの歴史(1980年〜)/昭和から平成へ、参加者は1万5千人

昭和から平成へ、 参加者は1万5千人

この年は、高知市制施行100周年。よさこい祭りも盛大にと、追手筋本部競演場に予約桟敷席と、新たに仮設トイレを設ける。花火大会では、史上最大の6千発!(4千4百万)。参加者は1万5千人に上る。また、南フランスのマルセイユで行われた「ジャパンウィーク」に踊り子を派遣。サンバのリズムのよさこい鳴子踊りは、喝采を浴びた。

1990年〜

よさこい祭りの歴史(1990年〜)/会議所創立100周年、中央公園で前夜祭を開催

会議所創立100周年、 中央公園で前夜祭を開催

よさこい祭りの「生みの親」である高知商工会議所が創立100周年を迎える。これを記念し、花火大会の9日に前夜祭を開始。よさこい祭りは3日間の熱い祭典となった。初日の10日には、ブラジルのサンバチームを招待。翌11日には阿波踊りチームを招き、祭りに彩りを添えた。

よさこい祭りの歴史(1990年〜)/よさこい全国大会が遂に実現

よさこい全国大会が遂に実現

平成4年、よさこい祭りに魅せられた北海道の学生が、「YOSAKOIソーラン祭り」を開催。それが、全国に波紋を投げかけ、日本各地で次々とよさこい祭りが催されるようになった。それを受け、ここ本場の高知で、「よさこい全国大会」が開催される。各県代表と、地元の受賞チームを加えた全33チームが、後夜祭で乱舞した。

2000年〜

よさこい祭りの歴史(2000年〜)/原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい開催

原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい開催

日本のファッション発信地、原宿表参道。文字通り明治神宮の表参道として栄えた街が、神宮の夏の奉納祭としてよさこい祭りを開催。“日本人のアイデンティティーを求めて”というテーマで、よさこいのパワーを通じ日本の元気を世界に発信しようと全国から有名チームが集結した。

よさこい祭りの歴史(2000年〜)/よさこい祭り50回記念、様々なイベントが行われる

よさこい祭り50回記念、 様々なイベントが行われる

50回を迎え、様々なイベントが行われた記念大会。半世紀を振り返る記念パレードが電車通りと帯屋町アーケードで行われた。初期踊りの再現から始まったパレードは、子供や地区競演場代表チームと続き転機となった昭和48年頃からの大賞受賞チームが踊りを披露。よさこいの移り変わりを表現した。

よさこい祭りの歴史(2000年〜)/よさこい祭り60回記念、様々なイベントが行われる

よさこい祭り60回記念、 様々なイベントが行われる

60回を迎え、様々なイベントが行われた記念大会。前夜祭の中で記念パレードが帯屋町アーケードで行われるとともに、第1回よさこい祭りの踊りの再現や「みんなでよさこいプロジェクト」による総踊りの曲(この地へ~)(作詞作曲 GReeeeN・編曲 雑音軒)を披露。よさこいの移り変わりを表現した。

よさこい祭りの歴史(2000年〜)/よさこい祭り65回記念、よさこい祭りの日宣言、ブルーインパルス展示飛行

よさこい祭り65回記念、よさこい祭りの日宣言、ブルーインパルス展示飛行

祭りが初めて披露された8月10日を「よさこい祭りの日」として、一般社団法人日本記念日協会に登録、祝う式典を4月16日に県知事、市長などが出席して行われました。ブルーインパルス(航空自衛隊宮城県松島基地第4航空団第11飛行隊)の展示飛行が8月9日前夜祭に高知市城西公園を中心に行われ、同展示飛行の予行は8月8日に行われました。

よさこい祭りの歴史(2000年〜)/天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典 奉祝まつりパレード

天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典 奉祝まつりパレード

天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典での奉祝まつりの祝賀パレードに、郷土芸能としてよさこい鳴子踊りが招かれ、2019年11月9日皇居外苑内堀通りにてよさこい大賞チームによる踊りを披露いたしました。夕方から、祝賀式典も開催され天皇皇后両陛下もお出ましになられました。 (主催:天皇陛下御即位奉祝委員会(会長 三村明夫)等)