「藤祭り」の概要
応仁2年(1468年)前関白一條教房公は、応仁の乱を逃れ、土佐の国、幡多の庄、本郷中村に下向しました。

一條公は、京の都に対する思慕の念から京都を模して中村御所(現一條神社)を中心に、碁盤目の道路や地名など随所に京を思わせる街づくりをしました。
開府以来、五百年の歴史と伝統を有し、以後四代百余年間、公家大名の街として戦国の世に栄えました。
土佐一條公家行列は、京都をはなれ幡多の荘を回復するため、中村御所に就く教房公の入府を再現して行われます。そして、一條家ゆかりの京都「葵祭り」になぞらえ、清流四万十川を中心とする自然に感謝すると同時に、中村開府の恩人、土佐一條氏歴代に感謝する祭りとしました。

これまでの歩み
実施日
行列参加
人数
一條教房公
玉姫
主なイベント
H4.5.3
115
沖香
中村市議会議長
女子大生
朝日麻千子
鷺舞(京都・鷺舞保存会)
H5.5.3
150
藤近馨
商振連会長
銀行員
本岡順
けまり
(京都・けまり保存会)
H6.4.29
150
岡本淳
中村市長
NHKキャスター
中脇美佳
みこの舞(一條神社みこ)
H7.4.29
150
亀岡平
建設省中村工事事務所所長
FM高知アナウンサー
太宰澄
コッキリコ(山路地区児童)
H8.5.3
130
岡本淳
中村市長
高知放送アナウンサー
石田佳世
H9.5.3
150
澤田五十六
中村市長
四万十キャンペーンレディー・福田祥
H10.5.3
120
澤田五十六
中村市長
高知さんさんテレビ営業部
川村友代
H11.5.3
130
中島稔 百瀬由美子
くじ・踊り(地元愛好会)
H12.5.3
120
澤田五十六
中村市長
四万十キャンペーンレディー・福田祥
くじ・踊り
(有岡 扇子踊り)
天神橋フリーマーケット
10
H13.5.3
120
一條実昭
(一條家28代当主)
四万十キャンペーンレディー・森百香
くじ・扇子踊(有岡)
コッキリコ(山路)
時代劇「真之介様」
天神橋フリーマーケット
11
H14.5.3
雨天中止
12
H15.5.3
120
澤田五十六
中村市長
ミス高知
森木めぐみ
くじ・扇子踊(有岡)
コッキリコ(山路)
宝さがし
太極拳
獅子舞
一條太鼓
お琴演奏
シルバー民謡
天神橋フリーマーケット
13
H16.5.3
100
佐田末喜
中村商工会議所会頭
四万十キャンペーンレディー・西野寿美
富くじ
コッキリコ(山路)
一條太鼓
スタンプラリー
天神橋フリーマーケット
14
H17.5.3
146
中平正宏前村長
旧西土佐村
吉村優美
富くじ
コッキリコ(山路)
一條太鼓
スタンプラリー
アグリパークはたのう
中村高校マーチングバンド
西土佐地区牛鬼
西土佐地区五つ鹿踊り
各種物産店
うどん他飲食コーナー
堀内佳・たんぼチャリティーコンサート
15
H18.5.3
143
澤田五十六
四万十市長
黒潮医療専門学校
芝崎美緒
富くじ
一條太鼓
バナナたたき売り
ちんどん
マジックショー
スタンプラリー
アグリパークはたのう
中村高校マーチングバンド
各種物産店
うどん他飲食コーナー
こどもコーナー
16
H19.5.3
160
澤田五十六
四万十市長
黒潮医療専門学校
前田佑奈
一條太鼓
みのり太鼓
ちんどん
マジックショー
スタンプラリー
こどもコーナー
アグリパークはたのう
中村高校マーチングバンド
各種物産店
うどん他飲食コーナー
17
H20.5.3

130

澤田五十六
四万十市長

 

歯科衛生士
伊勢脇千佳

空き店舗ギャラリー
一條太鼓
みのり太鼓
ちんどん
マジックショー
スタンプラリー
こどもコーナー
アグリパークはたのう
各種物産店
うどん他飲食コーナー

H21.5.3

170

高知県
尾崎正直知事
森下病院
中澤沙織

一條太鼓
みのり太鼓
県立中村中学校高校音楽部
ちんどん
マジックショー
合唱団「むぎ」
スタンプラリー
こどもコーナー
アグリパークはたのう
各種物産店
やきそば他飲食コーナー

H22.5.3

170

四万十市
杉本 整史 副市長
歌手
塩之華織

一條太鼓
県立中村中学校高校音楽部
ちんどん
紙切
フラダンス
合唱団「むぎ」
スタンプラリー
こどもコーナー
アグリパークはたのう
各種物産店
やきそば他飲食コーナー

20
H23.5.3

170

一條實綱
(一條家28代当主ご子息)
高知大学医学部
森弥華

一條太鼓
みのり太鼓
紙芝居
県立中村中学校高校音楽部・書道部
ちんどん
一人神楽
心霊護符うり
バイオリン演歌
フラダンス
合唱団「むぎ」
お琴演奏
スタンプラリー
こどもコーナー
アグリパークはたのう
各種物産店
やきそば他飲食コーナーなど

H24.5.3

190

四万十市
田中 全 市長
幡多土木事務所
猪野るみ
一條太鼓
みのり太鼓
紙芝居
県立中村中学校高校音楽部
ちんどん
フラダンス
マジック
ジャグリング
お琴演奏
スタンプラリー
こどもコーナー
富くじ
もちつき体験
アグリパークはたのう
各種物産店
やきそば他飲食コーナーなど
H25.5.3

190

中村商工会議所
福田 充 会頭
中村高等学校
藤本 香乃
一條太鼓
みのり太鼓
紙芝居
四万十市立中村中学校吹奏楽部
ちんどん
自転車曲芸
マジック・パントマイム
ジャグリング
よさこい・阿波踊り
ロス・トマテス
歌謡ステージ
スタンプラリー
こどもコーナー
富くじ
もちつき体験
アグリパークはたのう
各種物産店
パスタ他飲食コーナーなど
23
H26.5.3

190

高知県
尾ア 正直 知事
幡多農業高等学校
伊吹 美乃
一條太鼓
みのり太鼓
阿波踊り
紙芝居
県立中村中学校高校音楽部
マジック
ジャグリング
パントマイム
アコーデオン
俄芝居
フラメンコ
ファンクダンス
バルーンアート
アンデス音楽
スタンプラリー
こどもコーナー
富くじ
もちつき体験
アグリパークはたのう
各種物産店
やきそば他飲食コーナーなど
H27.5.3

190

四万十市
中平 正宏 市長
四万十市職員
コ田 真美
一條太鼓
みのり太鼓
西土佐牛鬼
県立中村中学校高校音楽部
巫女の舞

アンデス音楽
フラメンコ
江戸独楽芸
ガマの油売り
マジック&南京玉すだれ
ちんどん
自転車曲乗り
スタンプラリー
こどもコーナー
富くじ
もちつき体験
アグリパークはたのう
各種物産店
パスタ他飲食コーナーなど
25
H28.5.3

200

一條神社
川村 公彦 宮司
会社員
角辻 悠
一條太鼓
みのり太鼓
県立中村中学校高校音楽部
バナナたたき売り
パントマイム
マジック&南京玉すだれ
ちんどん
歌謡ショー
自転車曲乗り
巫女の舞
万年筆売り
スタンプラリー
こどもコーナー
富くじ
もちつき体験
アグリパークはたのう
各種物産店
やきそば他飲食コーナーなど
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写真集
平成24年(第21回) 平成25年(第22回) 平成26年(第23回)
平成27年(第24回) 平成28年(第25回)
行列の紹介

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行列の役職
役 名
土佐国司使 
供奉
ぐぶ
*前方の警護役
馬副
うまぞえ
*馬廻りの警護役
土佐国司使
とさこくし
つかい
*現在の県知事にあたる土佐国の領主の使い
手明
てあき
*雑用係
馬廻武士
うままわし
ぶし
*警護役
一條教房公
一條教房公
いちじょう-のりふさこう
随身
ずいしん
*身分の高い人が外出する時の武装した警護役
くとり
*弓矢を持った警護役
手振
てぶり
*従者
馬副
うまぞえ
*馬廻りの警護役

わらべ
*幼い男の子
雑色
ぞうしき
*一條公の雑用係
雑色
ぞうしき
*一條公の雑用係
舎人
とねり
*雑役に従事した官人

居飼
いかい
*公家の馬の世話役
取物舎人
とりもの-とねり
*雑役に従事した官人
玉 姫
玉姫
たまひめ
*教房公の孫嫁
童女
わらわめ
*幼い女の子
傘持ち
かさもち
雑色
ぞうしき
*雑用係
市女笠
いちめがさ
*物詣をする女性
雑色
ぞうしき
*雑用係

合 計
(平成12年)
男性 66名 女性28名 童子13名 童女13名
総勢120名
土佐一條家とは

前関白一條教房公は、応仁の乱(1467〜1478)の戦火から逃れる事と、失われた家領を回復させるため、応仁2年(1468)、中村の地に下向してきました。
中村に居をかまえた教房公は、その明敏な叡知と卓抜した手腕をもって、国内の治安を維持し、また有名無実であったその家領を回復しました。また公は対明貿易の発展にも大いに寄与し、中村が対明貿易の中継基地として、大いに栄える事に貢献しました。
以後房家、房冬、房基、兼定と一条氏四代に渡って繁栄を続けましたが、長宗我部家の勢力が土佐全域で拡大していくとしだいに一條家の勢力は衰えはじめ、そして天正2年(1574)兼定が豊後に追われてしまいついに一條家は滅び、中村の地は長宗我部家の領土になりました。
なお、一條兼定は翌年再起を図り渡川で長宗我部勢と戦うものの破れてしまい、伊予の戸島に逃れました。その後兼定はキリスト教に帰依し、ドン・パウロという洗礼名を受け、天正15年に病死したと言われています。
中村は長宗我部家が関ヶ原合戦で滅亡したあと、土佐山内家の支藩になりました。
土佐一條家ゆかりの史跡
一條教房の墓 (四万十市中村丸ノ内)
教房は応永30年(1423)一條兼良の長子として生まれました。大臣を経て長禄2年(1458)関白となり寛正4年(1463)その職を辞しました。
応仁の乱で京都を離れた教房は幡多の荘園の回復のため応仁2年((1468)10月中村に下向。最も京に似る中村に御所を置き、京に擬して四神相応の土佐の主都にふさわしいまち造りを進める一方、京文化の移入をはかるなど、その功績は極めて大きいものでした。
土佐一條氏の開祖で、在国13年文明12年(1480)10月5日、58才で没しました。

玉姫の墓 (四万十市中村新町)
玉姫は土佐一條氏ニ代房冬の夫人で、式部卿伏見宮邦高親王の王女です。大永元年(1521)6月一條房冬に嫁ぎ、三代房基の母となりました。
天文10年(1541)房冬の死後落飾して仏門に帰依せられますが、天文16年(1547)8月22日病死。墓は新町3丁目の常照寺跡にありますが、寺は明治維新の廃仏棄釈で廃寺となりました。

一條神社 (四万十市中村本町) 一條神社 (四万十市中村本町)
一條神社は、文久2年(1862)、中村御所跡の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。土佐一條氏は前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。
市民には、「いちじょこさん」と親しまれ、毎年11月に行われる大祭は、土佐の三大祭の一つに数えられています。現在の社殿は、昭和19年(1944)の建立です。

不破八幡宮 (四万十市不破)
不破八幡宮は、今より520年前一條公が応仁の乱を避け荘園経営のため中村に開府のとき、幡多の総鎮守として、また一條家守護神として山城国石清水八幡宮を勧請したもので、正八幡、広幡八幡といわれます。
神社祭典にはいろいろあり、当時盛んに行われた「嫁かつぎ」等の風習を矯正するため八幡宮と一宮神社結婚式を祭典神事にて行っています。こうして神事を通じて庶民大衆の生活指導を行ったものであるといわれています。

御化粧の井戸 (一條神社内) 御化粧の井戸 (一條神社内)
一條家が使ったと伝えられる7つの井戸の内、現存する唯一の井戸です。女官、侍女たちがお化粧のために使用したので「お化粧の井戸」と呼ばれるようになったと伝えられています。井戸の枠は、一枚岩をくりぬいたもので当時の一條家の権勢を物語っています。
一條神社にそのままの形で残っており、水深は約5mで、井戸水は今日まで枯れたことがありません。

咲かずの藤 (一條神社参道藤棚)
土佐一條氏は邸内に藤見の館「藤遊亭」を建て、家紋でもある藤をこよなく愛したと伝えられています。土佐一條氏第四代当主一條兼定は、長宗我部氏に追われ、館を離れるにあたり、「植え置きし 庭の藤が枝 心あらば 来む春ばかり 咲くな匂ふな」と歌を残して去り、この藤はその後約三百年間花をつけませんでした。
しかし、文久元年(1867)、この藤が見事に咲きほころび、このことが翌年の一條神社建立の発端となりました。
 
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